2016年8月29日月曜日

誰がための安楽死


おいらの母ちゃんは猫の母ちゃんだったこともある。
生後2か月で母ちゃんの元に来たその猫は19歳で亡くなった。
母ちゃんが40歳の時だから、その時点で母ちゃんの人生の約半分を共に暮らしたことになる。
ずーっと一緒にいたから、母ちゃんはこれからもずーっと一緒にいられると
何となく、でも当たり前のようにそう思ってたんだ。

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ある日、その猫が元気がなくなって病院に連れて行ったら
もう癌が全身に転移していて、内臓も体内で溶けちゃっていて
どうにも手の施しようがなかったんだって。
その時母ちゃんは愕然としたんだ。
親兄弟の次に長い時を過ごした一番の親友の最期を何も考えていなかった自分に。

突然突き付けられた『安楽死』の問題に、母ちゃんはどうしたらいいかわからなくて
『安楽死』を提案した担当の獣医さんに聞いたんだ。

「この子はあまり動かないし、表情もいつものままですが
痛いんでしょうか?苦しいんでしょうか?」

痛みも苦しみも麻痺しているようなステージですね。

「それでも安楽死させた方がいいんでしょうか?」

それは親御さんのご意志次第ですね。

「私は自分のことに置き換えて考えてみても、どうしたらいいかわからないんです。
もし、先生だったらどうされますか?」

私は職業柄安楽死を否定できない立場にありますが
毎日多くの動物たちを見て来て思うことを正直に申し上げるならば
動物は皆、最後の最後まであがこうとするんですよね。
死を悟っていても、それでもあがくんです。
私には、それは動物たちが
自分の生を全うさせようと最後の力を振り絞っている
ように見えるんです。
それしか申し上げられません。

この時、母ちゃんの中に何かがすーっと落ちてきた。
どうするべきか、はっきりしたんだ。
命の尊厳は痛覚だけにあるわけじゃない。
この子が自分の生を全うさせることを邪魔するのはやめようって。
安楽死はこの子が生を諦めたいほどの苦しみに襲われたら、その時にきちんと介錯人としての覚悟を決めて行おうって。

最近、おいらの周りでは

飼いきれなくなったから安楽死 とか
捨てて、野生動物に食べられるよりは安楽死させる方が人道的 とか
そんな話をよく聞くんだ。

『人道的』って言葉の使い方がおかしいだろ。

ああ、そうか。
『安楽死』って、飼い主を安楽にするためにおいらたちが殺されるって意味もあるんだね。







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