2018年9月9日日曜日

いけにえにされた犬


父ちゃんと母ちゃんがミミおばちゃん一行を連れてシアトルに行った時、ボーイング社が運営しているボーイング航空博物館に行ったんだ。
世界最初の飛行機の模型から現在のロケットに至るまで展示されているんだけど、アメリカの名だたる企業が本社に併設した『航空機の歴史』を語る博物館としては、正直、残念なタイプの博物館。


母ちゃんの母方のお爺ちゃんは飛行機の設計技師で、『日本の飛行機を高度3000mに導いた男』って言われてるんだ。
ただ、お爺ちゃんの時代の飛行機の設計っていうのは、戦争のための飛行機作り。
自分が夢を持って航空機を作るなんて許されない時代だった。
自分が作った飛行機がたくさんの人の命を奪ったと悟って、戦後お爺ちゃんは飛行機には一切関わらず、百姓になったんだって。

そんなお爺ちゃんの人生を思い浮かべながら展示を見ていた母ちゃんは、1枚の写真に釘付けになった。


この犬はライカっていうロシア(当時ソ連)のメス犬で、多くの人の記憶に『世界で初めてロケットに乗った犬』として残っていると思うんだ。
でも、それは間違いで、本当は『世界で初めて地球軌道を周回させられた犬』もしくは『国家の威信のための花火にされた犬』が正しい。
本当に世界で初めてロケットに乗った犬はアリビーナという別の犬。
やはり、ソ連が打ち上げたロケットに乗っていたんだけど、アリビーナは無事に帰還している。

ライカはモスクワの野良犬だった。
ソ連の宇宙開発チームに捕獲され、過酷な訓練を受け、無理やり狭い空間に押し込められて宇宙空間に放り込まれたんだ。
ライカが乗せられたスプートニク2号は地球を周回した後、地球に落下。
多くの新聞が「残念なことに」って書いたけど、開発チームにとって、ライカの死は予定通りのことだったんだ。


本来、この計画はライカを生かして帰還させることになっていた。
先にロケットに乗ったアリビーナが無事に帰還しているように、1957年当時の技術でもそれは可能だったんだ。
けれど、当時のソ連最高指導者だったフルシチョフが十月革命の40周年記念の目玉にするべく、計画を大幅に前倒しさせたために、開発チームはたった4週間でロケットを仕上げなければならなかったんだ。当然、ライカが生きて帰ってくるために必要な装置の研究は削られる。
つまり、この時点でスプートニク2号の役割は、祭りに添えるただの打ち上げ花火。
だから、ライカは数日地球軌道を周回した後、薬入りの餌を食べさせて安楽死させる予定で打ち上げられたんだ。
そもそも、ただの花火だったらライカを乗せる必要なんてなかったのに。


ソ連は初め、「ライカは打ち上げ初日は生きていた」と言い張ったんだけど、実は打ち上げ後、すぐに絶命したことが当時の開発チームの1人によって暴露されたんだ。

十分な研究開発の時間が与えられなかったスプートニク2号は、打ち上げ後数時間で温度コントロールシステムが故障して、機内はすぐに40℃を超え、そのうち人間さえも生きていられないほどの高温になって、ライカは絶命したんだそうだ。
モスクワで野良犬だったライカが気持ちがいいと感じる温度は、恐らく0℃前後。
20℃を超えたら、きっとおいらみたいにハァハァが止まらないと思うんだ。
それが狭い機内に固定され、高温の中で生け煮えにされたんだよな。

写真の中のライカの目を見てほしい。
人間に愛してほしいっていう目をしてないか?
人間を信じてるよって言ってないか?


ライカ、本当にごめんよ。
君の大切な命を、国家の威信なんて鼻クソほどの価値もないものに代えてしまって。
勝手に全人類を代表して、おいらの母ちゃんが心から君に謝るよ。






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