2018年7月12日木曜日

正論は本当に正論なのか?


おいらは昨日の記事で、同じ言葉でもそれを言う立場によって美しくもなれば卑しくもなる場合がある話をしたよな。

→ お前が言うな!


母ちゃんの昔の体験においらは頭が熱くなっちゃって、怒りの記事で終わっちゃって恐縮だったんだけど、おいらがなぜこんなことを書いたかっていうとね。
ブログのお友達のバタなめKENさんのこんな記事を読んだからなんだ。
社会に出てから哲学を勉強したいと思う人の話は、必ず心に刺さるものがある。
哲学犬のおいらは愛読させてもらってるんだ。
たださ、バタなめKENさん。
もうちっとハンドルネームを考えてくれると有難かったぞ。
おいら、リンクするのにちょっとだけ勇気が必要だったじゃねーかw

→ 功利主義は悲しみに暮れる少数派を救えるのか


明らかに傷ついている犯罪被害者家族・関係者がいて、その人たちの気持ちを考えることなく、大檀上からあたかも正論のように物を言う人っているだろ。
正論っていうのは大事だとおいらは思う。
多くの人たちの物の考え方の指針になるからな。
でも、おいらは100%正しい正論っていうものに出会ったことがない。
事実は常に多面的。
誰かにとって正しい事実は、別の誰かにとってはちゃんちゃらおかしい絵空事。

例えば、今回のオウム真理教教団関係者7人の死刑に際して言えば、「どうしてあんな事件が起こったのか彼らの口から聞き出すチャンスを逃した」っていう意見をマスコミはあたかも大多数の意見のように拾っているけど、本当にそうかな?


麻原彰晃を始めとする死刑確定者と彼らの弁護人たちは核心を話さなければ、死刑は延々と延ばせると考えてた。
だから、生きるために口をつぐんだ。
そして間もなく訪れる皇位継承の恩赦を獲得できれば、死刑は永遠に免れることができる。だから、人の口を割ることにかけてプロフェッショナルの検察が20年以上の歳月をかけても、例え彼らが互いに罪を擦り付け合って内輪揉めしても、事件の核心だけは絶対に話さない。そこが自分の命綱だってわかってるからな。

それに、おいらは敢えて聞くけど、なぜこんな事件が起こったかっていう理由はそんなに大事か?
その理由を知ると、何かが変わるのか?似たような事件はもう起こらないとでも?
そもそも事件を起こした理由が事件の核心なのか?
多くの罪なき人たちが殺されたり、母ちゃんのお友達のように人生を狂わされたりした人がたくさん生まれたという事実の方が余程重大じゃないのか?って、犯罪被害者は考えるんじゃないのかな。

→ Mちゃんに会いたい

『憎しみからは何も生まれない』
きれいな言葉だよな。正論のお手本のような言葉だぜ。
でも、これを犯罪被害に遭って苦しんでいる人に向けて言ったら、それは単なる言葉の暴力だってことを覚えておけよ。








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2 件のコメント:

  1. 大勢の側に立って正論を述べている人に問いたい。本当に自分の頭で考えた結果、出てきた言葉なの?と。
    6月に「あすの会」が解散しましたね。
    「あすの会」の活動のおかげで、「犯罪被害者等基本法」が成立し、被害者の人権が尊重されるようになりました。法廷に遺影すら持ち込めなかったこの国も、少しずつ変わってきています。
    顧問の岡村弁護士は…以前こちらのブログで拝読したので覚えていました。
    正論が言葉の暴力になりうるということ、しっかり心に留めておきます。

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  2. 自分で自分が正しいと思っている時ほど、実は危ういのではないかと、私も日々自分を戒めています。

    「あすの会」は大きな功績を残してくれましたが、なぜ解散してしまったのか、とても惜しまれますね。岡村弁護士がご高齢だからだと推察しますが(私が中学生の時に、既に60代だったのではないかと記憶しています)、後を引き継ぐ方がいらっしゃらないところを考えると、きっと壮絶な闘いだったのでしょう。

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