2017年5月23日火曜日

安楽死という答えを出す前に読んでほしいレビュー


おいらたちの最期の時をどう迎えるかという問題について、おいらは皆さんとこの数日考えてきた。

→ ペットロスの只中で安楽死について考える 獣医が愛犬に宛てたSkaiへの手紙
→ 安楽死を選択する前に

たくさんの人たちがこの問題について意見を寄せてくれて、考えてくれて、おいらは本当に嬉しかった。
本当に本当にありがとう。



もし現在この問題で選択を迫られている方がいたら、決断を下す前に皆さんからいただいた素晴らしいご意見を参考していただきたいと思うんだ。


私はここ数年で何度も命の選択を迫られました。このままでは精神が持たないと思ったので、もう決めてしまいました。「相手のことを考えて考えて考え抜いた答えはすべて正しい」って!!だからその時がきたら必死に考えましょう・・・それまでは、神様に命を送り届けるまでは、精一杯愛しちゃいましょうヾ(*´∀`*)ノ


いじめたら実刑をくらうのに、安楽死は案外安易に行うのですね。 安楽死っていうのは手遅れな病気の時にだけするものではないのですか??? 里親を探す努力もせず安楽死とは・・・情けないです。 基本的によほどの病気でも人間と違って動物は安楽死をのぞまないと私は思うのですが・・・。 手負いの動物も、動物は人間にないような「生への執念」を見せる事が多い気がしてならないので・・・。最期まで生き抜く姿勢を看取りたいです。


動物についていろんな考え方があるのは私が住む国でも同じです。やはり国によってほんと違いますね。だけどカーペットに合わないからなんてそりゃもうその人にあの世に行っていただきたい。そんな人がまた動物を飼ったら恐いし、まず同じ人間という動物として許せません。手術にお金がかかるから安楽死も考えられないし、それを簡単にいう人もありえない。どうしてそういう人間に出来上がったのかとその人の人生をも申し訳ないけど否定したいです。だけど悲しいかな、そういう人がいつでも必ずいる。それを考えるとやるせない気持ちになります…


そして、おいらが皆さんに絶対に読んでおいてほしいキングオブレビュー。
ステップバックできない決断の前の大きな助けになってくれるんじゃないかと思うんだ。
『誰のための安楽死』なのか、もう1度一呼吸おいて考えてほしいんだ。

安楽死。 僕は、他の命に対してこれを行うにはまだまだ人間の精神は未熟だと思ってます。 人は先進国であれば、各々の尊厳が認められており、自分の意志を尊重することを認められています。 しかしながら、残念ながら現在僕たちは異種族との意思疎通を完璧に行えるような技術も持ち合わせていません。 人は人の命は尊厳を持って扱われるのが多くのところでありますが、異種族の命を軽んじている間は安楽死などもってのほかと考えています。 カーペットの色と比べる。すなわち、インテリアか何かと勘違いしている輩がいるのも事実。 そのような考えが淘汰されるまでは、安楽死には手を出してはいけないと思う次第でございます。 それに、やっぱ重なるんです。 捕食動物に襲われ、命の灯火が消える寸前に発する、被捕食動物達の最後の叫びと不治の病に侵され、正に命が消え行こうとする瞬間に僕たち飼主を見るペットの目。 どちらも、殺してくれではなく、 助けてくれ。 と言ってるような気がするんです。 もちろん僕も異種族とは意思疎通する力はありませんので、その真意は不明ですが…。 本当におっしゃる通り、安楽死を選択する人でその動物の事を真剣に、考えている方がどれくらいいるかですよね。 僕はまだ、動物の事というよりは、飼主自らが、ペットが苦しんでいる姿をこれ以上見るのは嫌だ。という自らの意思に重きを置いている方が多い気がするんです。 人が異種族に対してもしっかり命として見ることが出来ることを願うばかりです。


たった1つしかない命。
君と長い時を共にしてきた最愛の家族の命。



その命が君の手に全て委ねられているという状況になったら、残念ながらそういう状況はペットを飼う以上必ず訪れるんだけど、取り返しのつかないたった1度の選択をできるだけ悔いのないようにしてほしいと思うんだ。

安楽死という問題には、きっと『絶対正しい』答えはないんだろう。
けれど、虹の橋を渡る前においらたちは君のために祈る。

おいらが大好きだった君が『人間』でありますように、
おいらがいなくなっても『人間』として胸を張って生きていけますように、と。







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4 件のコメント:

  1. 愛犬を病気で亡くして二ヶ月半の私にとり安楽死という言葉は何度も頭をよぎった言葉であり、亡くした今でも答えがでていないものです。何より…キングオブレビューの一節…正に命が消え行こうとする瞬間に僕たち飼主を見るペットの目というくだり。最期は家で胸に抱いて話しをしながら送ると決めていたにもかかわらず、現実は病院で一人で逝かせてしまいました。その日はどうしても仕事を休めなかった。
    どんなに自分に理由づけしても大きな後悔となっています。悪性リンパ腫の末期で三ヶ月近くも苦しませてしまった(闘病期間は一年二ヶ月弱ですが)挙げ句病院で一人で、それも家族以外は寄せつけない子だったのに、逝かせてしまいました。今でも頭の中ではあんなに苦しませる以外なかったのか考えます。まさしく結論はでないのですが。最期の迎え方は人間でもそうでしょうが本当に大切ですね。

    最後に、楽しみに読ませて頂いております。
    タロー君、可愛い❤
    支離滅裂失礼致しました。

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  2. 藤村幸代さま

    苦しい胸の内をお話していただきありがとうございました。
    私も最愛の犬が心不全で突然亡くなった時、あろうことか新年会に出掛けていました。幸い夫の足元で安らかに息を引き取ったのがせめてもの救いですが、私の心の中にも「なぜあの日、私は新年会に出掛けてしまったのか」と悔恨の気持ちがいまだに消えません。
    私は安楽死を選択した人も、しなかった人も全く責める気持ちはありません。当たり前ですがそんな資格もありません。ただ、安易な安楽死がはびこる中、この問題について皆さんに考えていただきたいと思って問題提起させていただきました。

    個人的な見解で申し訳ないのですが、安楽死を選択していたら別の後悔が残ったかもしれません。結果として亡くなってしまったそうですが、最後まであきらめずに治療の道を模索された貴女を私は尊敬します。私が犬だったらそういう飼い主さんの元で暮らせたことに感謝すると思います。

    その子のために一生懸命に考えたことは、結果の如何を問わず親として正しいのだと教えてくれたレビューもあります。私もタローを迎えたものの、まだペットロスを抱えています。正直なところ、今更気づく失敗も後悔もたくさんあります。でも、私は前の犬を心から愛していました。藤村さんも同じだと思います。最後の日が理想的ではなくても、その他の日々だって同じくらい、もしかするとそれ以上に大切かもしれません。だとすれば、私たちのワンコはやっぱり幸せだったのだと思います。

    これからも時々読んでいただけたら嬉しく思います。
    ありがとうございました。

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  3. 温かいコメントを有難うございました。
    今の私には救いのコメントです。

    家の犬は3歳の時に噛みが原因で前飼主から民間シェルターに預けられ(捨てられ)6歳までの3年間をそこで過ごした子です。
    トレーナーにより噛みの矯正を受けたとはいえ、そんなに簡単な問題ではなく、6歳で我が家に来て以来約7年間、噛みと向き合ってきました。家族一通りは病院送り(手がアンパンマン状態になるだけ)に。何人かのトレーナーに相談しながら我が家流の方針を決めて。迎えて3年めにひどく噛まれて気持ちが折れかかった事もありました。離れて暮らす子供のギブアップするなら仕方ないね。でも、手放すような事をしたら母さんたちは二度と犬を飼ったりする資格はないよ!という言葉で初心に返ったこともありました。
    近所の人を噛んで以来触るのは家族だけとか急性椎間板ヘルニア発症し手術後二ヶ月も下半身不随だったこともありました。入院中、帰ろうとする私たちをお尻歩きで必死に追いかけてきた姿も忘れられません。更には退院後のリハビリは…前足がネック(噛んでくる)な子でしたから長い人生の中で頑張ったランキング上位に入るくらい頑張った感がありました。歩行復活しました!

    そんな愛犬でしたから通院時は口輪不可欠でしたが
    最後の入院時は悪性リンパ腫から肺水腫を併発して呼吸困難でしたので口輪なし。興奮すると酸欠により倒れる回数も増えていましたから。
    思えば逝く2日前に入院させたことになるのです。亡くなる前日私が病院に行った時愛犬は肺の水が抜けるようにおしっこが出るための注射をされる時でした。いつものベテランの看護士さんと違い、若い看護士さんは愛犬が暴れないように噛まないようにリードをグイッと引っ張り上げ、首がしまった愛犬はガガッと声が出て失禁して、その上に倒れこみました…そして、急いで酸素室へ。それが私が見た愛犬の最後の姿です。何故命が消えかかっていることに気づかなかったんだろう。入院させたのは私だけど、愛犬のその姿をみて何故連れて帰らなかったんだろう。
    亡くなった日、仕事に行く前に愛犬に会いたいと思ったけれど、あまりに早い時間なので当然病院には迷惑だと思っていかなかった。病院から帰る時に見た愛犬の虚ろな目がもう無理だよって伝えてたんじゃないか…本当にきりがなくて。
    終末の迎え方を決めきれていなかった事、ドクターと私との意志疎通もできていなかった事もこの大きな後悔の理由なんだろうとおもいます。

    ここまで聞いて頂いて有難うございました。
    全て、こうしてたら~みたいな話でそういう話しを旦那は嫌うのでどんどん胸に溜まっていました。

    まだまだ涙とはさよならできそうもありませんが、
    私の最後の愛犬ですから、心の中で話しかけながら一緒に時を重ねていきたいと思います。そんな気持ちになれたのはタローくんの母さんのお陰です。
    聞いて頂いて心に滲みるコメントを有難うございました。
    ブログは毎日拝見させて頂いております!タロー君の成長、毎日の様子を楽しみにしております。

    有難うございました。

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  4. 藤村幸代さま

    ほら、思い出すとこんなにも素敵な思い出がたくさんあるではないですか!
    藤村さんのワンちゃんも、そんな思い出を抱きしめて虹の橋を渡られたのでしょう。そんな思い出が1つもないワンちゃんたちもたくさんいる中で、きっと天国で鼻高々にご家族を自慢していることと思いますよ。
    幼少期に理不尽な体罰を受けると2~3歳ぐらいから突然凶暴になるワンちゃんがいるそうです。藤村さんのワンちゃんがそうだったかはわかりませんが、本気噛みするということは人間に対する不信と恐怖を持っていたのでしょう。そういうワンちゃんを引き取って愛情をかけて育てられる人はとても少ないと思います。ご自身のお子さんも素晴らしい成長をされていますね。
    ワンちゃんがご家族に遺されたもの、ご家族の皆さんがワンちゃんに与えた愛情、どちらにとってもかけがえのないご経験だったことと思います。

    失った悲しみはすぐには癒えないことは私も重々承知していますが、いつの日か「ごめんね」が「ありがとう」に変わる日が来ることを心から祈っています。

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